映えるために生きるのをやめる

どっかで自分に自信がなく

誰かに褒められたいがためにやってきたような部分があり

それがググッと自分の首を締めていることに気づき


自分に改めて集中で生きる数ヶ月


やっと腹落ちした。


なぜ、「黙ること」が必要だったのか。

自分は何が心地よくて何が心地良くなくて

何が好きで何が好みじゃないのか

ずーっと見つめ直す時間でした。


そして腹落ちしたことは


「映えるために生きなくてもいいやん」

ってことで。


自分の心地よいことや、好きやからできることを大事にしたらいいんやって感じ。


結局、発信は等身大で良くて、

「ワタシログ」

がいいってこと。


インスタグラマーの仕事があっても、それでいい。


それがいいかもしれないってこと。



やっぱり私は自分が心地良く使えないものに対してはオススメできないし、写真が撮りたいもない。


「私、嘘はつけない」


どうせ、まわりにはバレてる。


自分の等身大の姿を知ってる人は、私を受け入れている。


こうなると、逆に、その一枚一枚の写真に収めることを大切にしようとなるから、後悔のない仕事もできる。


私は、装飾は好きで、変身もすき。

でも嘘はつけない。

気持ち悪くなる。

八方美人なところはあるけれど、「嘘」で身を固めているのとはちょっと違う。


褒められたいがために掃除をしたり、頑張ってきたけど、今は、自分がスッキリするから掃除する。

ただそれだけのこと


それだけのことが良い。







Canterbury

私の幸せに周りを巻き込む

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